とは言え、室内は暖かく暖房は家賃込みで24時間つけっぱなしなので助かってます。
仕事を辞めて関節周囲炎も日に日に良くなって来て気分上々なっていた週の前半、彼氏から父親が危篤状態なんだと連絡があった。
私が直ぐに行けと促して後、すぐにケベック・シティー向かった。
彼から木曜日の夜に連絡があった時、心肺機能があんまりなく治療プランもなくなり、終末期医療のユニットに移送されたと聞いた。
金曜日のお昼にまた彼の姉と母と一緒に見舞いに行くから早く寝るとのこと、私も出る言葉がなかった。
次の日、お昼近くだっただろうか、彼から訃報の知らせが来た。
明け方の4時ごろ、眠るように亡くなったのことです。
なんか、あっけないというか、家族が自宅で待機している間にたった一人で逝ってしまったわけです。
とりあえず、私のことは放っておいて家族と一緒にいてほしいと伝え、葬式を出すならいつなのか連絡をしてほしいと伝えた。
その件に関して一向に連絡がなく、本人も2日ぐらいは沈んでいたが、その後は私サイドの話題ばかり話すようなので、こっちから切り出した。
治療のアポも集中的に取っているので、いつ葬式があるのか、こっちの葬式のマナーもあんまり分からないので不安だった。
今週末に火葬して家族でお骨を取りに行くんだとあっさり言われてしまった。
そう言えば、こっちで火葬してしまうと殆どパウダー状になってしまい、我々日本人のような骨上げなどしないのです。
葬式を出さない理由を聞くと、本人の意思を尊重したいからと言うわけです。
それじゃ、いくら彼氏の父親と言えども葬式がないってと言うと、ニューブランズウィック州に住んでいる父親の姉が夏に司祭を招いてお葬式すると説明された。
一瞬、夏にお葬式って何じゃいなと思ったけど、ピンと来ました。
アカディア
そう言えば、彼はケベック・シティーで育ち、コテコテのケベック訛りの仏語を話すのでケべコワだと思っていたけど、実は両親が1775年にイギリスからアカディア人の全面追放された子孫なのです。
ヌーヴェルフランス(現在のケベック州)のケべコワと同じくフランス系カナダ人であるが、アカディア人は異なる文化を形成しているのです。
追放されたアカディア人は東カナダを中心に方々と散り、イギリスから強制送還を恐れたアカディア人の一部は米国南東部のなどに位置するルイジアナ州でケイジャンというコミュニティー文化を築いているのです。
聖母の被昇天
アカディア人の祝祭日は、彼らの守護聖人でもある聖母マリア様の被昇天際と同じ日(8月15日)聖母の被昇天に催されるのです。
アカディア人の殆どはカトリック教徒であるがゆえ、彼の父親もかつては教会へ家族と行った過去はあるのだろうと推測します。
姉が司祭を招いて守護聖人被昇天聖母マリア様に天へ上げて頂くのは当然のことです。
同じ仏教でもお葬式は各々宗派があるようにカトリックもまた別です。
他所の土地でお葬式を出されて、他所の大地で永眠するというのはいかがなものか。
アカディアの方言で話す司祭にお祈りしてもらい永遠の眠りにつくのが一番です。
夏に参列することにしました。